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東京地方裁判所 昭和52年(刑わ)3011号 判決

被告人 鬼頭史郎

昭九・一・六生 元裁判官

主文

被告人は無罪

理由

一  本件の公訴事実は、「被告人は、裁判官に在任中であつた昭和四七年四月一日から昭和五〇年三月三一日までの間、東京地方裁判所八王子支部判事補(兼東京家庭裁判所八王子支部判事補)に補され、特例判事補として裁判を行なう職権を有していたものであるが、昭和四九年七月二四日、北海道網走市三眺官有無番地所在網走刑務所庁舎所長室において、同刑務所所長程田福松に対し、『東京地方裁判所裁判官』との肩書を付した名刺を手交したうえ、当時宮本顕治(日本共産党中央委員会幹部会委員長)の身分帳簿を調査・閲覧する必要のある事件を担当していないのにかかわらず、『私は労働、公安事件の裁判を担当し、調査・研究しているので、その参考にするために宮本顕治さんのことについて調べに参りました。』などと来意を告げ、あたかも自己が担当している裁判を遂行するのに必要であるかのように装つて、同所長に右宮本顕治に関する身分帳簿の記載内容について尋ね、被告人がその担当する事件について調査・閲覧する必要があるものと誤信した同所長をして被告人自らが右身分帳簿を閲覧することを許させ、さらに、『私は、治安関係事件なんかを研究しておりましてね、それでご承知だと思いますけれども、司法研究というのがあるんですがね。』などと申し向けて、右身分帳簿のメモ及び写真撮影の許可を申し出て、右申出が前同様現職裁判官としての職務上の必要によるものと誤信した同所長をしてこれを許可せしめ、右身分帳簿につき、メモ及び写真撮影をしたのち、同月二九日、同刑務所庶務課長南部悦郎に対し、前記身分帳簿を撮影したフイルムを巻き戻す際、一部を感光させてしまつたため、身分帳簿の一部たる診断書、視察表、刑の執行停止の上申書の写しを送付してほしい、旨電話で依頼し、同所長の意を体した右南部課長をして、同月三一日、右各文書の写しを東京都三鷹市下連雀二丁目一四の二の被告人の当時の住居宛郵送せしめ、同年八月三日頃、右住居地において、右各文書を入手し、もつて、職権を濫用して程田所長らをして義務なきことを行なわしめたものである。」というのである。

二  被告人の当公判廷における供述、証人程田福松、同南部悦郎、同森律夫、同石原一彦の当公判廷における各供述、被告人の検察官に対する供述調書三通(昭和五二年二月二二日付、同年三月七日付二通)、程田福松の検察官及び検察官の職務を行う弁護士(以下「検察官」という。)に対する供述調書四通(同月四日付、九日付、一一日付、同年九月二七日付)、南部悦郎の検察官に対する供述調書、長屋昭次の検察官に対する供述調書二通、田中正行の検察官に対する供述調書、検察官作成の網走刑務所から任意提出を受けた物について(報告)と題する書面、押収物の写真撮影について(報告)と題する書面、差押えた物について(報告)と題する書面及び被疑者鬼頭史郎による封書の任意提出等について(報告)と題する書面、検察官ら作成の実況見分調書、法務省刑事局長作成の監獄法施行規則第二二条第一項等に規定する身分帳簿に関する事項について(回答)と題する書面(以下「身分帳簿に関する回答書」という。)、法務省矯正局長作成の回答書、最高裁判所事務総局人事局長作成の証明書、東京地方裁判所八王子支部長作成の捜査関係事項照会回答書(二通)、押収してあるカセツトテープ二巻(昭和五三年押第一一七号の1、2)によると、次の事実が認められる。

1  被告人は、昭和四二年四月七日に判事補に任命され、昭和四七年四月一日から昭和五〇年三月三一日までの間、東京地方裁判所判事補兼東京家庭裁判所判事補に補され、八王子支部勤務を命ぜられ、昭和四七年四月七日からは判事補の職権の特例等に関する法律一条の規定により、判事の職務を行わしむる者(以下「特例判事補」という。)に指名され、昭和四七年七、八月当時は同支部民事第三部で民事単独事件の裁判を担当していたものであること。

2  被告人が、昭和四九年七月二四日に北海道網走市字三眺官有無番地所在の網走刑務所所長室において、同刑務所所長程田福松(以下「程田所長」、「所長」ともいう。)に「東京地方裁判所裁判官」の肩書のある名刺を手交し、同所長が管理保管する宮本顕治(日本共産党中央委員会幹部会委員長)の身分帳簿(以下「宮本身分帳」ともいう。)の記載内容について尋ね、同所長の許しをえて、同所においてこれを閲覧し、次いで隣りの会議室においてこれを写真に撮影したこと、更に同月二九日電話で、同刑務所庶務課長南部悦郎(以下「南部課長」、「課長」ともいう。)に対し、宮本身分帳の撮影に失敗したので、その一部である診断書等の文書を特定し、これらをゼロツクスにして住居あてに送付して欲しい旨依頼し、これに対し、手書きで送付せよとの所長の指示を受けた同課長をして、手書きされた右各文書の写しを、同月三一日東京都三鷹市下連雀二丁目一四の二の被告人の当時の住居にあてて郵送させ、同年八月三日ころこれを入手したこと。

3  身分帳簿は、秘密文書として指定されているものではないが、法務省矯正局長の通達により、裁判所への提出は、刑事訴訟法九九条二項に基づく裁判所の提出命令による場合の外は差し控え、裁判所からの提出依頼がその一部を知るためのものである場合は、同法二七九条に基づく照会によらせ、原則として回答の義務があるが、回答することによつて刑務所の管理運営に著しい支障を生じ、または関係人の人権もしくは名誉を侵害する虞があるなどの理由で相当でないと認められるときは回答の限りでない、などと厳格に取扱いが規制されているものであること。

三  公務員職権濫用罪(刑法一九三条)は、公務員がその職権を濫用し、人に義務のないことを行わせ、またはその行うべき権利を妨害することによつて成立するものである。ここで職権を濫用するというのは、抽象的職務権限に属する事項について、職権を行使するかのようにふるまつて、実質的、具体的に違法、不当な行為をすることをいい、職権を行使するかのようにふるまうことなく、単に公務員としての地位や信用を利用するに過ぎないものは含まれないものと解するのが相当である。そして、この職権を公使するかのようにふるまつたというためには、同罪が、前記のとおり、人に義務のないことを行わせ、またはその行うべき権利を妨害することをも構成要件の要素とし、相手方である人の利益の保護をも目的としていることからみて、その相手方である人と同じ地位、職業などにある者の通常人が、その行為を職権が行使されているものと誤信して、義務のないことを行い、または行うべき権利を妨害される虞のあるものであることを必要とし、かつ、それをもつて足りるものと解するのが相当である。

ところで、本件におけるような身分帳簿の閲覧、写真撮影等に関する裁判所(官)の職権行使の具体的方法については、法律上特別の視定がないが、一般には、「特定の事件の審判について必要があるので、民事訴訟法何条または刑事訴訟法何条により、昭和四九年七月二四日、宮本顕治の身分帳簿の検証をするとか、身分帳簿についての調査をする。」とかと記載した文書を事前に送付して依頼するのが例である。もつとも、緊急を要する場合には、文書に代えて電話または直接口頭で、右の旨またはその要旨を告げて依頼することもありうることである。そして、現実の検証や調査の際には、通常、裁判所書記官が同行し調書を作成することになる。従つて、このような方法によつたときは、職権を行使するかのようにふるまつたものとすべきは当然のことであるが、このような方法がとられることは検察官、弁護士等の法曹関係者以外の一般の者には必ずしも明らかなことではない。このことは、刑務所長や刑務所の庶務課長についても同様であり、むしろ、事前に文書が送付されることなく、事件名や根拠条文を示すことなく、また裁判所書記官が同行することなく裁判官が一人で直接検証や調査にきた場合でも、その裁判官が官職氏名を名乗り、事件の審理に必要であるとか、職務上必要であるとか、あるいは担当事件の参考にするためとかという言葉を使用するなどして、担当事件の審判に必要であるかのように装うときは、職権が行使されているものと判断して、これに応ずるのが普通ではないかと思われるので、このようなときにも、職権を行使するかのようにふるまつたものとしてよいものと考える。

なお、例外的ではあるが、相手方及び調査対象のいかんによつては、裁判官が官職氏名を名乗り、ある事件の研究をしているとか、調査をしているとかというような、あいまいな言葉を使用した場合でも、職権が行使されているものと判断されることがあり、これに応ずるということもありうるものと思われる。しかし、本件における相手方のように、身分帳簿の管理保管の責任者である刑務所長や、その事務取扱いの責任者である刑務所庶務課長の地位にある者は、身分帳簿の取扱いについて前示のような厳格な規制があることを知つており、それに従わなければならないのであるから、こと身分帳簿の取扱いについては、右のようなことだけでたやすく職権が行使されているものと即断することはなく、その裁判官に適宜、質問をするなどして、前記の要件の有無を検討し、職権が行使されているものと判断した場合にのみ、これに応ずることになるものと思われる。

四  そこで、このような見地に立って、前示二の行為が、はたして被告人の裁判官としての職権の濫用によるものといえるかどうかについて、検討することとする。

1  まず、被告人の職務権限について考えるに、前掲身分帳簿に関する回答書、法務省矯正局長作成の回答書により、民事訴訟法及び刑事訴訟法に徴すると、特例判事補として単独事件の裁判を担当している者は、刑務所長の管理保管する身分帳簿の存否や内容を知る必要のある事件を担当する可能性があるのであるから、民事訴訟法二六二条の調査嘱託手続または刑事訴訟法二七九条の照会手続により、身分帳簿を保管する刑務所長に対し、その存否、内容等について報告を求め、あるいはその写し等の交付を求め、同法九九条二項の提出命令により、身分帳簿の提出を命じ、民事訴訟法三三三条以下または刑事訴訟法一二八条以下の検証手続により、刑務所に出向いて身分帳簿を閲覧し、写真撮影をする等の抽象的職務権限をもつものであるから、被告人にもその権限があつたものといわなければならない。

しかし、被告人の当公判廷における供述、証人石原一彦の当公判廷における供述、身分帳簿に関する回答書、法務省矯正局長作成の回答書及び最高裁判所事務総局人事局長作成の捜査関係事項についてと題する書面によると、被告人は、本件の昭和四九年七、八月当時、宮本身分帳の存否、内容等を知る必要のある事件を担当していなかつたこと、及び司法研修所長の委嘱を受けた裁判官は司法研究をすることができ、その研究内容いかんによつては身分帳簿の内容を了知することが許される場合があるが、被告人は当時右の委嘱を受けていなかつたことが明らかであるから、被告人には、宮本身分帳の提出、閲覧、写真撮影等を要求する具体的な職務権限はなかつたものといわなければならない。

2  次に、被告人が職権を行使するかのようにふるまつたかどうかについて考えることとする。

(一)  二の冒頭に掲げた各証拠、証人森律夫の当公判廷における供述、森律夫、勝野鴻志郎、深沢辰男の検察官に対する各供述調書、検察官作成の所要時間の測定について(報告)と題する書面、検察官作成の昭和五二年三月二八日付(網走刑務所長発信のもの)、同月二四日付(運輸省航空局総務課発信のもの)各電話聴取書、東亜国内航空株式会社営業部管理課長作成の捜査関係事項照会について(回答)と題する書面、電話書留簿の抄本、押収してある名刺一枚(同号の3)、航空券二枚(同号の4、5)によると、次のような事実が認められる。

(1) 被告人は、証拠調のため、昭和四九年七月二三日に札幌地方裁判所へ出張する機会に、網走刑務所で宮本顕治に関する資料を収集しようと考え、その数日前に、東京から網走刑務所に電話(以下「一回目の電話」という。)をかけ、応対に出た南部課長に、「東京地裁民事第三部のきとう(鬼頭であるが、当事者に「鬼頭」という文字がわからない状態にあることを示す。以下同じ。)判事補であるが、治安裁判等を研究しており、終戦当時そちらにいた政治犯収容者の宮本顕治氏のことについて調査したいので、書類があつたら見せて欲しい。二、三日中に行くからよろしく頼む。」旨申し入れ、同課長の一応の了承をえたこと。

(2) 南部課長は、その後で、右電話の趣旨を所長に伝えたところ、「裁判官がわざわざ見えられるなら協力しなければならないが、とにかく裁判官かどうか身元を確認するように。」と所長から指示されたので、身元を調べるとともに、宮本身分帳を取出して所長に見せたこと。

(3) 被告人は、同月二三日午後三時過ぎから札幌地方裁判所で証拠調などをし、同夜は札幌市内のホテルに宿泊し、翌二四日午前網走刑務所へ行くため市内の丘珠空港に至り、空港内の公衆電話で程田所長に電話(以下「二回目の電話」という。)をかけ、「この間電話をした東京地裁のきとう判事補であるが、共産党の宮本顕治氏が終戦直後に網走刑務所を出所しているので、その関係の書類を調査したい。これからそちらへ行くので、よろしく頼む。」旨依頼したところ、所長が、「あなたは本当に東京地裁民事第三部のきとうさんですか。」などと、被告人の身分を疑うかのような発言をしたため、改めて東京地裁八王子支部民事第三部のきとうであることを告げて納得をえたが、その際、所長が、「法務省矯正局庶務か札幌矯正管区の了承をえるように。」と言つたので、間もなく札幌矯正管区に電話を入れ、応対に出た同管区第二部長の森律夫(以下「森部長」という。)に対し、身分、氏名を告げたうえ、「終戦直後に刑の執行停止になつた者について調査するため網走刑務所に行きたいが、同刑務所で上の了解をとつてくれといわれたので口添えして欲しい。」旨依頼してその承諾をえたこと。

(4) 森部長は、その後すぐ程田所長に電話で、被告人からの依頼の趣旨及びさしつかえのない範囲で適宜調査に応ずるように伝え、程田所長は、身分帳簿かそこらを調べて説明しましようと応答したこと。

(5) 程田所長は、目前に迫つたきとう判事補の来所に備え、南部課長に改めてその身元の確認を命じ、同課長は、東京地方裁判所八王子支部民事第三部書記官室に電話をかけ、応対に出た裁判所書記官深沢辰男に対し、「法務省の者ですが、きとう裁判官はおられますか。」と述べて、「おります。」という答をえ、次いで「今おいでですか。」と尋ねて、「今北海道へ出張中です。」という返事をえて、その旨を所長に報告し、所長は、右報告により、被告人が現職の裁判官であることにまちがいないと確信したこと。

(6) そのころ程田所長は、重要な電話内容を記載する電話書留簿に、次のア、イ記載のような通話を記載し、認印したこと。なお、所長は、身分帳簿の閲覧の許可が刑務所長である自己の権限であり、上級官庁の指示を仰ぐほどのことではないと思つていたのであるが、このように記載したのは、監督官庁からの指示の下に調査に応じるのだということを記録しておく方がよいと判断したからであること。

ア 昭和四九年七月二三日一五時四〇分、発話者 東京地裁民事第三部木藤裁判官、受話者 所長、通話内容 書類調査について、先方「二、三日中に貴所における終戦直前の政治犯収容者の書類を調査したいから二、三日中に伺います。」、当方「そちらの電話番号は何番ですか。」、先方「只今市内電話を使用しています。」、当方「とにかく法務省の矯正局庶務の方を通して、同局からの通知がないと困るからそのよう願います。」

イ 昭和四九年七月二四日午前一〇時三五分、発話者 北管第二部長(注=森部長)、受話者 所長、通話内容 八王子支部木藤判事補が書類を調査したいとのことについて、先方「木藤判事補から貴所における終戦直前に執行停止した者のことについて調査したいとのことについて取計つて下さい。」、当方「同人から昨日、今日とこのことで電話照会あつたので、本省又は管区の指示、それとも判事所属の長かの依頼状が必要のこと回答したところです。」、先方「それで当方に照会あつたことでしよう。」、当方「わかりました。御指示の範囲について許可することにします。」

(7) 被告人は、森部長から程田所長に電話がなされたであろうころを見計らい、再び同空港の公衆電話で所長に電話をかけ、同部長からの口添えを受けていた所長の承諾をえ、同日午後一時一四分発の飛行機を利用して、午後二時一三分に女満別空港に着き、そこからタクシーに乗り、一人で同刑務所に赴き、出迎えた南部課長に「東京地方裁判所裁判官」の肩書のある名刺を手渡し、同課長の案内で所長室に入り、同課長が右名刺を所長に渡すと、所長も自分の名刺を出し、被告人が「どうもさきほどは。」と言うと、所長も「こちらこそどうも。」などと言つて、二回目の電話でのやりとりについて互いに軽い謝意を表わす程度のあいさつをかわした後、所長の勧めで応接セツトのいすに座り、所長が「宮本氏のどういうところをお調べになるのですか。」と聞きながら、用意してあつた宮本身分帳を開き始め、被告人はそのころバツグ内に準備していた録音機をひそかに始動させたこと。

(8) 被告人は、所長の説明を聞きながら釈放指揮書、執行指揮書を閲覧していたが、所長が来客とあいさつするため席をはずしたので、一人で診察ノ件報告、病状経過報告、病状報告ノ件、刑執行停止ノ件と題する各書面、検事宛上申起案文などを順次音読、録音しながら閲覧し、所長が再び席についてから宮本顕治の出所理由等について話をし、次いで、同人あての私信、作業表、カルテを閲覧した後、所長に対し、「それでですね……これはまあ……要点をこのメモしたいんですが……これはあの……大変だけどね……写せませんか、所長さん。あの……コピーか、もし……コピーにかからんですか、これは……」とコピーを願つたところ、所長から「ばらさなきやできんよね。」と言われたので、「もしお許しいただければ……、まあ、あの……取扱い、もちろん注意します。これあの……要するに観光途中という名目でカメラ持つて来たから写させてもらつてもいいんですけど。」と言つて宮本身分帳の写真撮影の許可を願つたところ、所長が、すぐ「写すのはいいでしよう。ここで写すのは……。」と答え、続いて、被告人=「はい。はい。じやあ、そうさしていただきましようか。それじやあ、この釈放表紙と釈放……、執行指揮と釈放指揮と診察のところですね。これがね、札幌高検にも本省にもどこにもないんです。」、所長=「ああ、そうですか。どういうふうで出たというとこですか。」、被告人=「ええ、それが全然あれですわ……。」という話があり、所長が改めて、「これは、目的は何でございますか。」と尋ね、被告人が「これは私が治安維持法関係の事件なんかを研究しておりましてね。それであの……御承知だと思いますけど、司法研究というのがあるんですがね。それの……」と言つているときに、所長がこれをさえぎるように、「これだけで発表するわけではないんですね。」と言い、被告人が「そんなことはございません。ええ全然ございません。」と述べて共に笑い、所長が「一応資料として……。」と言い、その後具体的に撮影する話に移つていること。

(9) 被告人は、撮影する書類を指摘し、所長の勧めに従つて隣りの会議室で写真撮影をすることになつたが、その際、所長に「網走まで飛んで来ましたかいがありました。やつぱり……。」と言い、所長は「いやいや……。」と受けこたえ、所長の案内で会議室に移り、南部課長の協力をえて写真を撮影したこと。

(10) 所長は、被告人が帰つた後の午後三時半過ぎころに森部長に電話を入れ、被告人が来所して宮本顕治の刑の執行停止の根拠について調査し、執行指揮書等を撮影して帰つたことを報告したところ、森部長が調査結果が変な方面に利用されないかと懸念したので、被告人がこれだけで他に発表することはないと約束したからその心配はないであろう旨伝え、その後の翌二五日か二六日になつて、前記電話書留簿に、右電話の内容として次のとおり記載し、認印したこと。

昭和四九年七月二四日午後三時四〇分、発話者 管区第二部長(注=森部長)、受話者 所長、通話内容鬼頭裁判官の来所に伴う調査方について報告、当方「鬼頭裁判官来所しました。終戦直後に執行停止になつた「宮本顕治」の刑の執行停止になつた根拠を知りたいとのことであります。それで必要個所(身分帳表紙、指揮書等)を写したいとのこと(撮影)でありますがよろしいか。」、先方「変な方面に利用しないと言つてたことですから、その程度なら差支えないでしよう。」、当方「司法研究とのことにつき差支えないことでしようから許可します。」

(11) 森部長は、同日から三、四日後に開かれた札幌矯正管区の連絡会議(部長以上出席)の席で、同管区長に対し、被告人が同刑務所に来た際、程田所長が身分帳簿の二、三の点について説明し、調査に応じた旨報告したこと。

(12) 南部課長は、同月三一日に、被告人に宮本身分帳の一部の手書したものを送つた際、これに、「当所にはゼロツクス等の謄写設備がありませんので、筆写いたしましたので御了承下さい。」としたためた書状を添えたのであるが、その発送前に、筆写させた書類及び右書状を電子リコピーで複写し、これを庶務雑件綴に編てつしておいたこと。

(13) 被告人は同年八月五日に宮城刑務所に電話を入れ、応対に出た同刑務所長に対し、「東京地方裁判所八王子支部の鬼頭という判事補であるが、終戦時に出所した袴田さんの記録を見せて欲しい。研究しているから。」という趣旨のことを言つて、袴田里見の身分帳簿の閲覧を依頼したが、同所長は、同刑務所の総務課長らと相談して、依頼の趣旨、内容が怪しいということで、これを拒否したこと。

(二)  もつとも、証人程田福松及び同南部悦郎は当公判廷において、また程田福松は検察官に対する供述調書において、右認定事実のうち若干の点等について、次に示すように、これと異なる供述をしている。しかし、これらの異なる供述は、その後に挙げる理由により、にわかに措信することができないものと考える。

(1) 証人南部は、当公判廷において、(一)の(1)の一回目の電話の内容に関して、職務上の参考にするためというような言葉は本当に言つたことにまちがいないでしようか、という問に対し、「ありません。」と断定的な供述をし、また、「治安関係事件」とかという言葉を使つた、所長にもその旨報告した、と供述しているのである。しかし、同証人は、その検察官に対する供述調書によると、「被告人は、私、東京地裁八王子支部のきとうという判事補ですが、明日、宮本顕治氏の身分帳関係の調査でそちらへうかがいますからよろしくお願いします、なお、その調査で得た資料は外部にはだしません、という意味のことを言つた。」旨供述した後で、身分帳という言葉をはつきり言つたかという問に対して、「別な表現を使つたかもしれません。」と答え、続けて、「職務上参考にするためということも言つたように思います。」と述べ、相手は治安立法や治安裁判を個人的に研究しておりそのために必要だという意味のことを言わなかつたかという問に対して、「個人的に研究しているとかそのために必要だとか言われた記憶はありません。」と答え、また、所長に対する報告についても、被告人の言つたという言葉を述べた後で、補足的に、「職務上の参考にするためと言われたように思いますので、そのことも所長に話したように思います。」と述べているに過ぎないのである。なお、証人程田は、当公判廷において、南部課長からの報告内容について、「きとう判事補さんから電話があつて、治安関係事件の裁判に関する調査をしておるので、網走刑務所に収容されたものの、終戦後出所したものの書類を調査したいんだと、こういうようなことで行くから、という電話があつた。」と、「それから、調査したものは外部に出さない、というような電話があつた、というようなことでございました。」と供述しているにとどまるのである。しかも、証人南部は、当公判廷において、「被告人は、こちらから何の質問もしないのに、調査で得た資料は外には渡しません、と言つた。」旨供述しており、このことは前記のとおり、同証人の検察官に対する供述調書、証人程田の当公判廷における供述にも出ているのであるが、もしそれが真実であるとすれば、被告人が治安関係事件の裁判に使うとか、職務上の参考にするためであるとかと言つたというのは、いかにも不合理であるといわなければならない。なお、証人南部の当公判廷における供述だけを特別に信用すべき事情は存在しない。

(2) 証人程田は、当公判廷において、「昭和四九年七月二三日午後に、東京からと思われるが、被告人から電話がかかり、私は東京地裁の民事三部のきとう裁判官ですが、職務上参考にしたいんで、終戦前の政治犯収容者の書類の調査に二、三日中に伺いたいから、よろしく、といわれた。そのときの電話を書き留めたのが(一)の(6)のアである。」旨供述し、検察官に対する昭和五二年九月二七日付の供述調書でも、「そのころに被告人から電話があつた。」旨供述しているのである。しかし、被告人の当公判廷における供述及び検察官に対する同年二月二二日付供述調書並びに勝野鴻志郎の検察官に対する供述調書によると、被告人は遅くとも昭和四九年七月二三日午後三時一〇分ごろから、札幌地方裁判所において証拠調等をしていたのであつて、同時刻以降は程田所長に電話ができるような状態ではなかつたことが明らかである。また被告人は前記のとおり同月二四日に網走刑務所に出向いているのであるから、特別の事情のない限り前日の同月二三日に、二、三日中に伺います、というようなことを言うはずがなく、すでに一回目の電話で一応の了承をえているのであるから、同じ趣旨の電話を二度かけるというのも不合理であるうえに、もしこの電話があり、そのような話があつたとすれば、(一)の(3)の二回目の電話と内容的に重複することにもなる。むしろ、右の諸事情に、同証人が昭和五二年三月四日付の検察官に対する供述調書において、被告人から最初に電話がかかつてきたのは昭和四九年七月二〇日である旨供述していることなどを合わせ考えると、同証人が同月二三日午後に被告人からかかつたと供述している電話は、右の二回目の電話であり、その内容として述べているところは、その電話の内容と、(一)の(1)、(2)で南部課長から聞いたこととが混じつているのではないかと思われる。そして、同証人は、右の七月二〇日の電話内容についても、同月二三日の電話内容についても、また二回目の電話内容についても、当公判廷における供述以前には、被告人が職務上参考にしたいとの言葉を使つたという供述はしておらず、また、(一)の(6)のアの通話内容にも、そのような記載は見あたらないのである。

(3) 証人程田は、当公判廷において、(一)の(4)の森部長からの電話内容について、「……きとう判事補という人から電話があつて、網走刑務所に収容されたもので、終戦後出所したものの書類を、職務上調査に、近々行くから、とりはからい願います、とこんな内容であつた。」旨供述しているのである。ところが、当の証人森律夫は当公判廷において、「被告人からの電話で、被告人が、職務上の調査とか職務上の参考とかという言葉を使つたと思うが、相手が裁判官だということなので、言葉として出なくても私がそのように理解したのかもしれない。裁判官の調査というのは、すべて職務上というふうに認識しておるんです。」と供述しているに過ぎないのである。しかも証人程田は、昭和五二年三月四日付の検察官に対する供述調書では、「実は東京地裁八王子支部のキトウ判事補から電話があつて、網走刑務所に於ける終戦直後の政治犯収容者の刑執行停止の書類について調査したいとのことで、近くそちらに行くと言つていたのでよろしく頼みます、と言われた。」旨供述しているに過ぎず、また(一)の(6)のイの森部長からの電話内容にも、職務上という文言は見あたらないのである。なお、証人程田の当公判廷における供述だけを特別に信用すべき事情は存在しない。

(4) 証人程田は、当公判廷においても、検察官に対する右供述調書及び同年九月二七日付供述調書においても、「被告人は、昭和四九年七月二四日午後二時前ごろにも電話をかけてよこし、東京地裁のきとう裁判官ですが、網走駅から電話をかけています、お宅から終戦直後に宮本顕治さんが出所しているはずですが、そのことについて調査にまいりました、と言い、私はその時初めて宮本顕治さんという名前を聞いたんです。」と供述しているのである。しかし、被告人は、前記(一)の(7)のとおり、同日午後一時一四分発の飛行機に乗つて午後二時一三分に女満別空港に着陸したのであつて、午後二時前ごろには電話をかけることができないうえに、多少時間をずらしてみても、被告人は、その後すぐタクシーで網走刑務所に向つているのであつて、わざわざ網走駅に立寄つたと認むべき事情はない。また証人南部は、当公判廷においても、検察官に対する供述調書においても、「被告人は、(一)の(1)の一回目の電話で宮本顕治の名前を出しており、その後すぐそのことも所長に伝えた。」旨供述しており、被告人も検察官に対する供述調書で、その旨供述しているのである。これがものを頼みに行く場合の常識であつて、到着直前になつて、初めて宮本顕治の名を聞いたという証人程田の供述は、常識に合わない。

(5) 証人程田は、(一)の(7)のあいさつの後、被告人が所長に依頼した言辞について、主尋問では、「被告人が、実は治安関係事件の裁判に関する調査研究をしておるし、それについて職務上の参考に、終戦後執行停止で出所された宮本顕治氏のことについて調査にまいつたのです、と述べたので、私が、宮本顕治さんの調査目的はどういうわけですか、と聞いたところ、被告人は、私は現在、公安労働関係の裁判を、事件を担当しておるんで、それの参考資料にしたいんで調査したいんです、と言つた。」旨供述し、反対尋問では、「実は、司法関係事件の裁判に関する調査を研究している、それに職務上参考のために、終戦直後に執行停止になつた宮本顕治さんのことで調べに参りました、とおつしやつたんです。」と供述しているのである。ところが同証人は、検察官に対する昭和五二年三月四日付供述調書では、「被告人は、実は、これまでに御連絡した通り終戦直後治安維持法等の政治犯収容者が出所した関係について調べており、宮本顕治氏が刑執行停止で出所したことについて教えてもらいたいのですが、というような言い方で切り出した。職務上必要があると言つたかどうか記憶が定かでない。公安労働事件の裁判の何らかの参考にされるのだと思いました。」と供述しているに過ぎないうえに、同年三月一一日付の検察官に対する供述調書では、調査に応じた理由の説明をしているのであるが、そこでも、被告人が職務上の参考にするとか、担当事件の参考にするとかというような言葉を使つた旨の供述はしていないのである。また同証人は、目的はともかくも、(一)の(8)記載の段階に至つて、その記載のとおり、改めて写真撮影の目的を聞いているうえに、その際、被告人が「治安維持法関係の事件なんかを研究しておりましてね。それであの……御承知だと思いますけど、司法研究というのがあるんですがね。」と、同証人の当公判廷における前記調査目的に関する供述と異なる答えをしているのに、それを問題にすることなく、笑つて済ませているのである。なお、被告人を所長室に案内して両人のそばにいた南部課長は、所長と被告人とが初対面のあいさつをした後の両人の言動について、証人として当公判廷において、被告人が網走に来た理由について何か言わなかつたかという質問に対し、「自分はそばに立つてはいたんですけれども、所長と判事補があいさつしていたもんですから特に気にとめていなかつたもんですから、そのところはよく記憶しておりません。」と答え、次いで被告人が来所の目的について話をしなかつたかという質問に対し、「自分はよく分かりません。」と答え、検察官に対する供述調書では、「あいさつの後、所長がどうぞと言つて応接セツトに座り、宮本氏のどういうところをお調べになるのですかと聞き、鬼頭判事補は宮本氏の出所の理由……を聞いていました。」と述べて、被告人の依頼の言辞については全然触れていないのである。しかも、証人程田の供述だけを特別に信用すべき事情は存在しない。

(6) 証人程田は、当公判廷においても、同年九月二七日付の検察官に対する供述調書においても、被告人に宮本身分帳の写真撮影を許可したことはない旨供述し、証人南部は、当公判廷において、所長が写真撮影の許可をした言葉を聞いていないと供述しているのである。しかし、所長が許可し、南部課長がこれを知つていることは、前記カセツトテープ(同号の2)及び同課長の検察官に対する供述調書により疑いのないところである。

(7) 証人程田は、当公判廷においても、前記供述調書においても、(一)の(12)の事実は全然知らないと供述しているのである。しかし、右事実は、証人南部の当公判廷における供述及び検察官に対する供述調書等により明らかである。

(三)  以上のとおりであつて、被告人が担当事件の裁判に必要であるかのように装つて使つたという言葉については、その証明がないうえに、次にあげるような問題点もあつて、これらを総合すると、程田所長や南部課長にはもとより、これらと同じ地位にある者の通常人にも、被告人の行為を裁判官としての職権を行使するものであると誤信するような事情はなく、従つて、前示二の行為が被告人の裁判官としての職権の濫用によるものとするには、その証明が十分でないというの外はない。

(1) 被告人は、東京地方裁判所または同裁判所八王子支部民事第三部の判事補であると名乗り、東京地方裁判所裁判官という肩書のある名刺を出し、私は、ア治安裁判等を研究している、イ治安維持法関係の事件なんかを研究している、ウ司法研究というのがあるなどと言つたことは明らかであるが、右言辞のうち、アは職権による身分帳簿の閲覧要求の言葉としてはいかにもあいまいであり、イ、ウは宮本身分帳を閲覧し所長から写真撮影の許可を受けた後に発せられたものであつて、担当事件の審判に必要であるかのように装つたものとはいえない。

(2) 刑務所長や庶務課長の地位にある者は、身分帳簿の外部発表について前示のような矯正局長の通達があることを知つており、程田所長や南部課長には、一回目の電話のすぐ後以来、被告人が閲覧等を依頼しているものが宮本身分帳であることがわかつていたのであるから、もし被告人の依頼を職権の行使と判断していたのであれば、事前または事後に裁判所からの文書を要求するとか、要求しないのであれば、いかなる事件の審判等に必要であるのかなどと確かめて、文書にしておく等の措置に出るべきであり、そのことが十分可能であつたのに、程田所長、南部課長とも、これらの点について顧慮した形跡がない。もつとも、両名は、本件は緊急な場合であると思つたので文書を要求しなかつたとも供述しているのであるが、(一)で認定した事実関係の推移からみて、しかく緊急な場合と判断すべき事情は存在しない。

(3) 被告人の依頼を裁判官の職権の行使と判断していたのであれば、その許可は刑務所長の権限であるから、上級官庁の了解や指示は必要でないのにかかわらず、程田所長は、被告人に法務省矯正局の庶務か札幌矯正管区の了解をとるように仕向け、その了解ないし指示によつて許可したように作為しているのである。もつとも同所長は、証人として、当公判廷において、被告人の依頼は、複数人に関する調査で特定人に関する照会ではないから、上級官庁の経由を必要とするかのような供述をしているが、証人石原一彦の当公判廷における供述に照らし、その区別そのものが明らかでないうえに、同所長は、当時すでに宮本身分帳についての依頼、すなわち右供述にいう照会であることを知つていたのであるから、弁解にならない。なお、刑務所長の権限である事項についても、事実上、上級官庁の意向を聞いてことを処理する場合もあるであろうが、そのような場合には、自ら意向を聞くべきものであつて、部外者にさせることではなく、もとより本件はこのような場合ではない。

(4) 被告人の写真撮影の依頼を裁判官の職権の行使と判断していたのであれば、その写真が外部に発表されるのではないかなどと、ことさらに心配する必要はないのに、程田所長は、写真撮影を許可した後になつて、改めてその目的を尋ね、その答えを十分聞き終らないうちに、「これだけで発表するわけではないんですね。」と念を押し、そんなことは全然ない旨の答えをえて納得しているのである。また同所長は、被告人から診断書、視察表等をゼロツクスにして送つて欲しい旨依頼された際、電子リコピーがあるのに、わざわざ手書きさせたものを送らせているのであり、このことも、同所長が被告人がコピーしたものをそのまま発表するのではないかという不安にかられていたことを示すものといえる。

(5) 被告人の写真撮影や写しの送付の依頼を裁判官の職権の行使と判断していたのであれば、その許可の事実を隠しだてしたりする必要は毛頭なく、(一)の(10)の電話書留簿の内容などからみて、程田所長がこれを忘れているものとは思われないのにかかわらず、同所長は、当公判廷においても、これを強く否定しているのである。

(6) 写真撮影の許可をえた前後ごろにおける被告人の所長に対する言辞は、職権を行使している者の言葉としてはいかにも不似合である。

五  以上のとおりであつて、本件公訴事実は、その証明が十分でないというの外はない。

なお、本件は、程田所長らが、裁判官に対する信頼感あるいは畏敬の念に基づき、被告人の私的な調査行為に便宜を与え、被告人が、研究的動機によるとはいえ、裁判官の地位ないし信用を悪用し、程田所長らの好意をよいことにして、一般には許されることのない特定人の身分帳簿を閲覧したり、撮影したり、写しを送付させたりしたというのが真相ではないかと思われる。

よつて、刑事訴訟法三三六条後段により、主文のとおり判決する。

(裁判官 坂本武志 天野耕一 片岡博)

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